誰かに嫌な気分にさせられた時に

考え事

生きている限り誰かに嫌な気持ちにさせられてしまうと言うのは交通事故よりもっと多い事なのかもしれない

人と人が共に生きて行くこの世界では極力人付き合いを避けている孤独な私の様な人間でも当たり事故を食らってしまうのだ

それでも孤独だからこそ思う事がある

この世界に張り巡らされている嫌悪感の鎖と言う物に目を凝らしてみると言う事を

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手のひらに乗った嫌悪感の出所

誰かに嫌な思いをさせられた時、

ある時こんなことを思った

「この嫌悪感はどこからきたの?」

なぜそう思ったのかと言うと、きっと私を嫌な想いにさせたその人もまた誰かに嫌な思いにさせられた人だと思ったからだった

そして、時を同じくして子供もまた保育園で意地悪をされたと帰って来てしぶりながら毎日を過ごしていた

そんな時に私は意地悪をする人は意地悪をする必要がある人だと思うことにして来たことを話した

なぜなら誰もが皆、本来ならあえて誰かに嫌な思いをさせる事もリスクのある事であえて故意に誰かに嫌な思いをさせたい人など相当な悪趣味な人以外は居ないと思っているからだ

子育てをしているとこんなことをよく感じる場面は普通に生きているより多く感じるようになり

環境に左右され易い子供だからこそ、家庭のあり方をその子自身が等身大で表している様にいつも感じている

我が家でもそれは、痛々しいほどに感じている事だ

人は争う生き物ではある、それでも腹一杯の人々は争い合わない

なぜなら足りているからだ

争うのはいつも足りないと思っている人々の間で起こるもの

もっと大切にされたいとか、もっと愛されたいとか、もっと構って欲しいとか、もっと話を聞いて欲しいとか

もっと自分を見て欲しいとか、もっと褒めて欲しいとか、もっとこうなったら良いのにとか

あの人よりもっと幸せになりたいとか、どうして自分ばっかりとか、どうしてあの人ばっかりとか

そんな風に足りないと言う気持ちはいつしか、悲しみや寂しさを経由したりしながらも怒りに変わり

心の外へと放たれて行く

誰かの足りないから始まった嫌悪感は、身近な誰かに向かい放たれる

そして、それを受けた誰かがまた誰かに放つ

そんな事が鎖の様に連鎖して、私の手のひらにやってきた様に見えた

そんな風に手のひらの嫌悪感を眺めていると

前を見れば世界中にそんなどこからか放たれた嫌悪感のつながりの鎖がどこかしこに無数にある様な気がして仕方なかった

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手のひらの嫌悪感をどうする?

手のひらに乗ってきた嫌悪感を見つめていて

その時に生まれたのは選択肢だった

どこからか繋がる様にやってきた手のひらに乗っている嫌悪感をどうして行く事も自分にはできると言う事に気づいた

そこまで成熟している訳では無いからついつい何処かにその嫌悪感の鎖を繋いできてしまった事も周知していて

それでもいつでも、その選択肢はやって来るのだ

もしも一度、その嫌悪感を手にしたのなら一度立ち止まって欲しい

私もそうしてみるから

ここでその鎖を切る事ができると言う事を私はよく知っている

そして、その鎖を繋いでいく事がとても簡単だと言う事も知っている

前者は誰にでもできる事では無いけど、後者は誰にでもできる事だからだ

そのぐっと堪える事の大変さを乗り越えられるのは他でも無く心の強さだ

誰かのそんな愛に救われた事は私の人生でもあった

そして自分がその鎖の出どころになるのもいとも容易い事なのだ

どんなに気をつけていても、誰しもに心の飢餓はやってくる

それはめぐる季節の様に

美しいものを繋いで行く力

そして、嫌悪感が鎖になるのと同じ様に

幸福もまた、数珠繋ぎになって行くもの

誰かの植えた幸せの種はたくさんの人の笑顔を作る物にもなる

昨今ではYouTubeのモチベーション動画や誰かの言葉や経験に救われた事は数え切れないほどあった

そうして、幸福の種は少なくとも地道に育っている

空を舞う嫌悪感の鎖と地面に植えられていく少なくとも踏ん張って伸びていく幸せの種

私にはそんな風に見えて仕方ないのだ

そして誰もに与えられている物は選択だ

そのどちらを生み出すのか

そして、何をつなぎ何を断ち切るのか

それは、人生の間に何度もその選択がやってくる

それを私なら、まずその選択肢に一回一回気付きたいと思うだろう

些細な事で、些細な選択だけど

強い人になりたいと思う

いつだったか、心が強く愛ある人に私が助けられた様に

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まとめ

誰かから貰ってしまった嫌悪感の鎖はいつも空をたくさん舞うようにどこかで放たれ繋がっては消えていく

その鎖が途絶える所にはきっと心の強い愛のある人がいるのに違いないと思うのです

ちゃんと嫌悪感は出所に返す事

そして無用な嫌悪感は一切受け取らない事

ぐっと堪え誰かに繋いでしまったり、八つ当たりしたりしない強さを持つ事

誰にも認められる事はなくともきっと誰かの心には残っている物です

きっとそんな人の居る場所には愛の種がすくすくと育って行くのでしょう

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