代理ミュンヒハウゼン症候群の母を持って

人生訓

ニュースで代理ミュンヒハウゼン症候群と言う言葉を耳にして

とうとう、この言葉をニュースで聞く事になる

とは、と考えに耽りました

この言葉は筆者にとっては馴染みのある言葉で、それは悲しい過去を思い出させる物でもあります

そんな私の過去の体験記を、語ろうと筆をとる事にしました

もう一つの人生

私の母は私が病である事を最後まで望んでいました

そんな母から離れ、今では私が母になり

日々、自分の無意識の中に住む母の影に負けてしまわないように生きています

そんな私には、もう一つの人生がありました

それは母の願望が叶っていた人生で

私にとっては自身が病に潰されていた人生を意味しました

もしも、私がその人生を生きていたのなら

こうしてパソコンに向かいキーボードを打ち、このような話を語る事はおろか

隣にいる、自身の生きる糧となった子供にも会う事は無かったでしょう

それどころか、私にはこの世に存在すらしてなかったかもしれません

幼心を持った寂しい母

結婚をした母の周囲には、母を幸せにする物がありませんでした

お茶をする友も、好きな事も

旅行も、娯楽も

結婚する前の母は、好きな動物を飼い、絵を描き、天真爛漫な自由に生きる人でした

そんな母は結婚を機に変わってしまいました

そして何より母を苦しめた物は、父のプライドと間違った父親像と現実逃避癖でした

母は、表と裏の顔を持った、すでに崩壊した家庭を守る為に自分の全てを捨てました

行き場が無く勇気がないと言う理由で母は、会話のない父の元に留まり

仲の良いふりをしながら、冷戦状態を続け関係は破壌する事も改善される事も無く、今に至ります

そんな父とは母の作る家庭で私は思春期を前に二度の健忘と精神崩壊を引き起こしました

それは本来なら膿出しをし、全てをやり直しすチャンスでもあったのですが

父と母が選んだ選択は、反対のものでした

父は母の責任にし

母は私の罪悪感を材料にして母自身の求めた心の欠けた場所に病の私をはめ込みました

その時から母は変わりました

角の尖った四角い面持ちの表情で笑う事も無く、ただただ正確に真四角に尖らせてた母からは優しさも、喜びも、悲しみさえも感じ

る事さえありませんでしたが

私の病を機にまるで少女の様になったのです

私を介抱することで得られる注目と罪悪感を感じ言いなりになってくれる娘を母親役にする事で、母の子供の頃の不足した愛情が満

たされたのでしょう

そんな母は、家の外部の人からは娘を介抱する良き母でしたが

実際には、母親役を娘に求める子供になり

あれから10年近く経った今も、母は時折、わがままな女の子の様に私に振る舞う事があります

母にとって、私の病は子供時代の愛情不足を補う至福の時間となっていたのです

そんな母から私を病に縛り付ける行為は信じ難いものも多く経験してきて

特に自身の人生において致命的だったのはこの言葉でした

この言葉を受け取ってからは、早々に死ぬ為の諦め切った人生を後10年ほど過ごす事になりました

あなたは病気だから、もう何も出来ないの、結婚も、子供も産めないし、仕事もできない

だから、死ぬまでお母さんといるの

お母さんが死んだら、兄妹にお願いするからね

母となった私が思う事は、自身の子供が同じ状況の時に冗談でもこの言葉をかける事が出来るか?と言う事です

きっとこの言葉を私にかけた母は、自身の欲に囚われ完全に正気を失っていたのでしょう

こんな言葉をかけられ、支配され、生きる気力を完全に無くした私がここまで生きてこれたのは

ただただ、運が良かったからとしか言いようがありません

諦めたまま過ごした10年ほどの時間の中では、不思議とトントンと意識とは裏腹に階段を昇るように駆け上がって行き

新しい経験や、本当の自分、思いのほか深かった自分の傷に絶望と愛なんかとも対面して

こうして今、子供を授かり半生の経験との対峙と新しい学びを混ぜ合わせながら生きています

母は相変わらず、私が病が治る事への拒否反応を示し認めたないようで聞く耳持を持つ事もないですが

子育てを機に母を冷静に客観視出来るようになった事で

私は母と言う存在を諦める事にしました

一時は、自分は母と言う存在を知らないまま一生を終えるのだと思うと絶望したりもしていましたが

今では、自身の経験が我が子を不幸する事もあるが、幸福にもする事が出来るのだと言う事が分かり

母と言う存在は持てなかったけど、私は一から母になろう!と決め

自身の知らない愛のある母と言う生き方をを日々、学んでいます

心を育てる

専門的なお話は、正直なところ出来ませんが

代理ミュンヒハウゼン症候群の母を持ち

そして自身が母になったからこそ言える事は

今、社会で寂しい母を無くそうと言う動きの通用しない所でこそ、寂しい母たち苦しんでいて

誰かがいる事が寂しさを紛らわすのでは無く

誰かと心が繋がる事が寂しさを消すのだと言う事を忘れてはいけないと言う事です

形だけの繋がりでは無く、家庭の中で起きている悲しみの連鎖を断ち切る方法は

今からでも、一人一人の子供たちの心を大切に育てる学習にあるのだと思っています

愛と言う物は、心の成熟さと言う器が必要で

心の成熟が足りない事で、自己愛肥大になってしまう

だからこそ、自分しか愛せない父親や自分しか愛せない母親が誕生し

知らないから愛せないと言う現象が発生します

そして、知らないからこそ真っ先に自分を愛する行動をしてしまう

心の学習は簡単ではありませんが、心ある所に愛が宿る

自身の子供の未来の愛を育んでいるのだと言う意識で、根気強く愛し心を育てて行きたいと思うのです

願い

今回のニュースで聞いた悲しい事件は、私のもう一つの人生です

そんな私が願う事は

幸せになる術を勇気を出し、守って欲しいと言う事

もしも、私の母が幸せになっていたとしたら何をしたら幸せになっていただろう?

私はよくこの問いを自身に投げかけ、人生に生かすようにしてきましたが

きっとその答えは、母がここまで選んできた人生の選択ではなかったのだと思うのです

それを知る事こそが、きっと母が私を餌食にせずとも、母も私も救われていた手段なのでは無いでしょうか

そんな事を考える私の脳裏には

対して綺麗でもない家に帰り、油絵具だらでキャンバスに向かうの母に「ただいま」と声を掛けると

こちらを見て微笑む母の姿が浮かんで来てならないのです

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

人気ブログランキング - にほんブログ村
にほんブログ村の人気ブログランキングは数多くの人気ブログが集まるブログランキングサイトです。(参加無料)

コメント

タイトルとURLをコピーしました