被虐待者 異邦人の生きるためのヒント

虐待サバイバー、毒親

子供の頃にこんな事を考えていた事を覚えています

“なぜ、みんな生きていることが当たり前の様に生きているんだろう?“

あの時、心に咲いた小さな囁きは私の生きるヒントになったのです

当たり前や、普通

自分は確かに他の人とは何かが違う、でもその違いが分からない

普通って、当たり前ってなんだろう?

それが見つかれば新しく生き直せる鍵になる気がする

ずっとそんな風に思っていました

そして、その鍵が見つかった時は確かに、私は新しい人生を生きる土台をまた作り直したとそう実感しました

被虐待者(異邦人)にとってこの普通と自分の違いが生きるヒントになるのでは無いかと思い、この記事を読んでいる方々にもその鍵になればと記事を書きました

皆さんの探していた新しい人生を開くヒントになると嬉しいです

こんな人におすすめの記事です
  • 親から心を育ててもらえなかった人
  • 自身の存在感が気薄な人
  • 自分は人とは違うのだけど、何が違うのか分からないと言う人
  • なぜか、集団に入って行く事ができない人

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はじめに  異邦人と言う存在

まず初めに虐待サバイバーとしても、人と括りには出来ません

私のここでお話しする虐待サバイバーとは、異邦人

すなわち、心の教育を受けずに生きてきた人を指します

子育てとは何なのでしょうか?育てるべきものとは何なのでしょうか?

子供の成長には衣食住の居場所と食べ物、身の回りの物事を与える事で体は育ちますが、ここは育つ事はありません

心を育てるとは柔らかな土を用意しタネを植える様に

母親や養育者の共感、教え、愛と言う土の上に、自我と言うタネを植え

失敗や成功や学びなどを通して水をあげたり必要のない枝葉を切り込んでいく様な、心に生きる土台を根付かせる地道な作業が必要なのです

この心を育てる環境がなく、衣食住の世話のみで育った人を異邦人という様なのです

この異邦人という言葉は自身の言語化されていなかった痛みの正体を見つけるきっかけになった本から借りた言葉です

この本で異邦人と言う存在を目にした時、誰にも理解されずにカウンセリングに行っても何処か話が噛み合わない理由などがわかった気がしました

数々のカウンセリングでは見つからなかった答えと自分の姿がそこにはあり、この本を読んだ日から私は異邦人として生きて行く事になりました

自身の記事では、心を育ててもらわずに生きてきた虐待サバイバーを

精神科医 高橋 和巳 著/子は親を救うために「心の病」になる より

異邦人と言う言葉をお借りしまして独自の解説していきます

心を救う鍵の正体

もしも、この記事を読んで下っている方が私と同じ異邦人と自覚していて、救いを求めこの記事を読んでくださっているとしたら

生きている事その物で今にも窒息していまいそうなほど緊張しながら過ごされているのかも知れません

何に緊張しているのか?それはもしかしたらひとりの時間には感じないことなのかも知れません

孤独に逃げると言うのは大半の人が理解できない事ですが、この異邦人同士では通用する価値観なのかもしれませんね

前置きはさておき、この心を救う鍵の正体を探る前に普通を定義しながら異邦人は普通とは何が違うのか?と言う事を紐解くことから始めてみましょう

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みんなと異邦人 異邦人から見た普通とは何か?

先ほど、お話しした様に私は子供の頃にこんな疑問が心の中から湧き上がってきた事を覚えています

なぜ、みんな生きてる事が当たり前の様に生きているのだろう?

この問いが生まれたあの日から、自分が母になった今まで

私にとって普通の人とは、この様に目に映っていました

皆堂々とこの世に存在していて

まるでそれが当たり前のようで、自分と言う存在を誰に認めてもらうでも無く

ここに生きていていいのだと自分自身が許可した上で誰かと接する事で

誰かが自分を必要としていると言うサインを出されずとも、必要とされていると思えている様だ

自分を守り、自分を愛し、自分を認め、自分こそを真っ先に優先すると言う事を躊躇なくやって退けているように見える普通の人々は

私の存在を無自覚に否定されるようでいつも小さく傷つける存在でした

そんな痛みや違和感こそが、普通の人にはあって異邦人にはない物が何かを

ある日見つける材料になったのです

異邦人と普通の人の違いを紐解く上で自身の考える愛着形成のある人とない人の図

普通の人にはあって、異邦人にはないもの

それを一言で言うのならこれでいいと言う、正解を探す事のない確信です

母親に愛され心配され存在を認めれる事で、この世に自分が存在する事を許可します

そんな心理的なつながりを元に社会とは何か?どう振る舞うべきなのかを親に教わり成長して行きます

この2つのセットが異邦人には無く、自分の存在はおろか、社会での振る舞い方さえも知らないと言うのが異邦人を緊張させる原因なのです

ここで例題を一つ

[例]

雛鳥が巣立つのに大切なのは、親鳥に守られながら非力な時間を過ごし、飛ぶ方法を覚え、狩りの方法を覚える事までが巣立ちまでの流れです

きっとこれが動物の本能なのでしょう

そして、ここに社会性のもつチンパンジーなどの動物の場合はどうなるのでしょうか?

群のルールを教え込み、群のルールを教わっていない親がいないチンパンジーは代理の母に群のルールを教わる、もしくは群では生きていくことが出来ないと言う事を聞いたことがあります

同じように人間も社会的動物で群のルールを親に教わる事なく生きてきた人は群のルールを知らずにそれでも何とか馴染もうします

つまり、普通の人にあって異邦人には無いものとは、群のルールを知っていると言う安心と知らないけど合わせなくてはならないと言う違いで

普通の人とは親に存在を認められた上で、群のルールと言う答えを教え込まれ、この社会での生き方を知っているという確信があるという人が普通の人なのです

しかし、ここでとても救いのある話をしたいと思うのですが

この普通の人の社会で振る舞うべき正解は、皆が全く同じと言うわけでは無く

あくまでもそれは個人の中で正解で、世の中全ての完全な正解を教えている訳では無いと言う事

TPOを弁えるなど、社会には振る舞うべき言動がありますが意外にもこれを誰もが守っているわけでは無いのです

自分に厳しく、ルールを守り真面目に生きている社会の模範的大人がいたとしたらそれはそれで怖いですよね

なので、正解を知っていることが普通の人だと言うわけではなく

先ほどお話しした自分を優先できると言う事がキーになりますが

ルールの中で自分を優先しうまく振る舞う事を知っていて、答えをもらっているからこそ、探す必要のない安心感に包まれ生きてる人が普通の人なのです

普通の人と対照的な世界を生きる異邦人

もしも、普通の人々を例えるとしたらそれは人々が密集して暮らす高層マンションや賑やかで明るい街

そして異邦人と言う存在はと言うのなら村よりも、さらに外れた森の中の一軒家で動物や植物たちとひとりで暮らす風変わりな人だと答えるでしょう

私自身のユートピアが人の存在を、一切感じない場所だと言う事と同じ様に

先ほど話した普通の世界とは対照的な、異邦人の世界、それは普通の人々の知らないもう一つの世界です

それでも、私たちの体は社会で生きる事を余儀なくされているからこそ、普通になろうとみんなと同じになろうとする

でも、私たち異邦人の教科書はいつも白紙で、何を知らなくて何を知っているのかさえ分からない

誰かに尋ねた所で「そんなことはあるはず無い」と、おかしな人の様に扱われるだけ

その繰り返しで、すっかり自分自信をおかしな存在だと否定しているのでは無いでしょうか?

異邦人とは?

異邦人とは、自分の存在や社会での振る舞いに確信のあった普通の人とは対照的に

自分の存在を含めた全てに確信が無い人

だからこそ、いつも正解を探して確信を探して

社会の中では自分がどう振る舞うべきかを間違えない様に緊張しているのです

そして、この緊張を解く鍵はとても簡単でただ失敗した自分を受け入れるだけでいいのです

だって、この社会をどう生きるかと言う正しい答えなど本当は誰1人として知らないのですから

それは群の中でただ、それなりに生きれる機能さえ手に入れてその失敗をまあいいのだと自分をいたわってあげればそれだけでいいのです

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ただ、普通の人になりたかった

あなたも私も同じように必死で普通の人と同じ道が正解だと信じ込み歩もうとしてきたのでは無いでしょうか?

ただ、みんなの様に堂々と生きて群の中に入って行く

自分に許可などせずともそこにいていいのだと言えたらと…

私もそうなるために随分、失敗しないようにと真面目を装い生きてきた様に思います

しかし、絵は描けば上達して行きますが生き方だけはどれだけ普通になろうと長年努力しても1ミリたりとも上手くならず

逆に、もういいよと諦め自分を大切にすればするほど上手く生きれる様になった気がします

そして、この異邦人という存在の自分に気付き社会で生きて行く苦しさに気付いた時は、旅立ちの合図です

居場所のない世界にさようならを

高橋和巳先生の著書には異邦人の救いになる世界を“宇宙“と表現していました

それは“いる“ではなく“ある“の世界だと

私自身もこの鍵を見つけて、この世界の事がよくわかった気がしました

ここで本書より、私の背中を押す言葉になった一節をご紹介します

きっと皆さんの力にもなる事でしょう

成人期を超えて、心理システムを超えて宇宙期に入るかどうかは、「普通の」人にとってはオプションの問題である。

進ざるを得ないこともあるし、進まなくても住む場合もある。

「普通の」心理システムの中で幸せな人生を閉じてもいいし、あるいは、どうしても虚空を知りたくて、進んでいくこともある。

一方、最初から不完全な心理システムを持ち、生きることがつらかった人たちは、宇宙期へと進む可能性は高いだろう。

その時は、大きな「クライシス」を必要としない。

ずっと深く、長く苦しんできたからこそ、人間存在の核、その最後の幸せへと向かう力は強い。

子は親を救うために「心の病」になる/高橋 和巳著 より

親と言う存在を諦め

人と繋がる事を諦め、一生分の孤独を受け入れ

まさか普通になる事まで諦めなければいけないのか…と悲しもくもなりましたがこれが答えの様で

ただ、否定も肯定もせずに感じるままに生きてみればいいのだと思いました

そこには、これはダメだとか、これがいいなどと言う分別は要りません

それは普通の人たちが生きる世界の正解であって異邦人にとっての正解ではありません

なぜなら、それが異邦人の生きる世界そのものだから

それが全ての存在の源である宇宙という生き方なのだと私は思ったのです

宇宙の中に行けば、その一部に地球があるようにそれは別れであり始まりだと私自身、深く感じたのです

メッセージ

最後に、私はこの社会の中で異邦人として生きて行くにあたってこんな言葉を皆さんに送りたいと思います

この世界には、群で生きる生物と単独で生きる生物がいて

それは私たち異邦人に生きるヒントを与えてくれています

なぜ単独で生きる生物は固体での生活を可能にして要るのでしょうか?

きっと、あなたにもあるはず

社会の中でたったひとりでも、ここまで生きて来きて、こうして記事を読んでいるのだと言う事は

社会の中でも生きる術をもうすでに手にしているのかも知れません

そんなあなただけの生きる理由を本気で求める事は、きっと全てを真っ白に生き直す新しい人生のキャンバスに今度は描き込んでいくべき物なのかもしれませんね

失敗には自己愛を、そして異邦人には諦めと旅立ちを

皆さんの人生がひとりでも明るく輝くことを祈って、この世界へようこそと言う言葉を送りたいと思います

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