描きたい物だけ描いて生きて来た

作画記

絵を描くと言う事は、描く物が見えていると言う事

絵が上手くなると言う事は、目では見えない物を捉えられると言う事

私は長年、絵と向き合って来てこんなふうに思う様になりました

現在は、イラストレーターとして活動している筆者ですが

絵の勉強などはした事が無く、ひたすら描きたい物だけを描いてきた人生でした

そんな私だからこそ面白い視点で語れるのでは無いか?とこの記事を描いて見る事に

絵の勉強を真面目に頑張りすぎている方に、話半分程度に聞いてもらえたら良いなと思っています

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描きたいものだけを描いてきた人の末路

ここでは、あえて悲劇的な表現で書き出して見ましたが

描きたいものだけを描いてきた筆者が感じた描きたいことだけ描いて来たからこそ得た物と

描きたい物だけしか描いてこなかったからこそ現在、障害になっている事を書いて来たいと思います

まず初めに、1番に感じる事は

絵の勉強をして来たバランスの取れたアーティストの人達の絵に対し引け目を感じてしまう

絵の勉強をして来た人と、絵の勉強をして来てない人の違いは絵を見れば明らかですが

デッサンの数、パースの勉強をしているか?クロッキーの勉強をしているか?などは流暢に絵に現れます

もちろん、私も絵の勉強はして来ていませんからたくさんのバランスの取れた絵を描くプロの方々にどこか引け目を感じてしまいます

描きたい物だけを描いて来たからこそ描ける絵がある

私の絵のスタイルは基本的に空間と言うものはあまり存在せず、頭の中にふっと湧いてきた物を描き

その時にテーマに沿って、そのテーマを描くにあたって面白いと思える物で表現すると言う物

それこそ、好きな物を好きな様に並べて好きな様に描くだけ

“面白い“と思えない物は描けないのが自分流です

このスタイルにたどり着いたのは描きたい物だけを描き続けたからだと思っています

ですので、意外にも描きたいもだけを描く事で見出せる自分のスタイルと言うものもあるのではないか?と思うのです

Autumn“秋“

どんな想いで描いているのか?

筆者が小学生だった頃の自身の自由帳にはキョンシーが所狭しと書かれていて

ドキュメンタリー番組で見て感動した葉を運ぶハキリアリなんかがチョロチョロとページの余白の角に描けれていたのを覚えています

毎日、毎日好きな物を好きな様に描いていたあの頃

あの頃の自分が“何の為に絵を描いているのか“を教えてくれかの様な出来事を経験しました

子供の頃の私の1番の特技は、絵

だからこそ、絵を描く授業の時は人一倍、楽しみにしていましたし人一倍、力を入れ描いていました

私の通っていた学校では毎年、春になるとちいさな体で画版と絵の具を背負って一斉に学校の外に出て行き桜の絵を描き

私は決まっていつも1人で場所を選び、黙々と描いていて、年を追う毎に本気度も増して行きました

ある時、今年はとにかくリアルに描いてみようと決め描き始め

薄く淡い白っぽいピンク色の花を儚い色で描き上げたのです

しかし、その絵を見た先生は、私にこう言いました

“子どもらしくない“

皆、まだ桜の絵を真っピンクで塗るような年齢でだったからこそ先生はそう言ったのだと思いますが私の顔が灰色に染まったのは言うまでもありません

今も脳裏に刻まれているほど、この出来事は印象的で

だからこそ、先生の一言は絵に本気だった私の反骨精神に触れ

翌年は、桜の花を淡く塗った後に絵の具の蓋についている桜のマークをスタンプがわりにして手荒にペタペタと押したのを覚えています

ーどう?これなら子供らしいって言うの!?(怒)ーとでも言わんばかりに!!

こんな経験は、一度だけでは無く

私の描く絵はとことん先生には意図が伝わらないと言う出来事はその後何度もあったのを覚えています

そんな反骨精神たっぷりの小さな私は誰のために描いたのか?

なんのために描いたのか?を今の私に教えてくれる様です

上手にできたよ!では無く

うん、納得!そんな風に自分を唸らせてあげるのがまずは1番に大切な事なのだと

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描きたい物しか描けない性質!?

ここでは、言い訳半分も含まれてますが

地道にコツコツが向かないのよと言う筆者に似た性質をお持ちの方でしたら共感出来るのかも!?

世の中に絵の勉強が向かないの性質の人もいるのだとこちらもまた話半分で聞いてもらえたらと思います

つまり言い訳、コレクションだね

絵の勉強が出来ない理由

  • 絵の学校で行けない環境で生きて来た
  • 飽き性ー自分の描きたい物じゃないと描くのに飽きてしまう
  • 未知の物が好き、好奇心旺盛ー目で見ている物に興味がない
  • 時間がない

これは、私自身が絵の勉強を出来ない理由ですが

筆者は好奇心が旺盛で、この目で見た事がない未知の物を追いかけ生きている様な存在なので

ただ、そこに存在する物をただただ、描き写すと言う事が出来ません

なぜなら自分自身が面白いと言う発見がないと描けずに途中で手が止まってしまうからです

こんな甘っちょろい事言っていたら怒られてしまうかもですが…

しかし、こんな性質だからこその絵の勉強方法は日々行っています

それは

描きたい絵を描く為に、勉強する

つまり、先ほどの着物の絵ですが

着物を普段描かない私ですが、秋と言うテーマで描こうと決めて時に着物とう題材が頭をよぎりました

その時にやっと資料を漁り、観察して着物を描ける様にして行くと言う物

絵を描く時の手順のイメージは練習は描く事とは別になる場合をイメージするのではないでしょうか?

  • 練習→インスピレーション→構図を練る→描く

私自身は自分の性質上それが難しい為こんなやり方を採用しているのです

  • インスピレーション→構図を練る→練習、描く

自分の完成させたい絵を餌に描きたい絵を描きながら練習して行くと言うのが、言い訳がましい私の絵の練習方法なのです

大人なって思う事は、単身だった頃の様に絵を描いている時間も無いので、練習する時間を取る事さえ厳しいと感じるので

そんな時は迷わずに描きたい絵を描く事を優先し

描きたい絵を描く為に練習しながら描いて行くと言うやり方は自分の生活にも優しいと思っています

ただ、描けるものと描けない物の偏りは激しいかもしれませんね…

ゴールを決める

私自身、まだまだ絵を上手くなりたいと思いますし

パースやデッサンなどの練習ももちろんしたいと思うのですが、ある概念が拭えない為

風まかせでも良いかな?と思ったりもするのです

それが

時計の読み方を覚えると世界は変わる

この言葉の真意は、時間のない世界と時間のある世界では生き方がまるで違うという事

それは中原中也の“汚れちまった悲しみに“と言う言葉によく似ているなと思うのですが

パースと言う空間やデッサンを覚えると後戻りは出来ないと言う事

それは、今描いている自由でメチャクチャな配置にはならなくなると言う事

それは素晴らしい事でもあり、悲しい事でもあります

私の様なちゃんとした絵を描けない人は、それなりの良さと言う物が必ずあるもので

そこには、無理に足す必要がない物もあるのかもしれません

過去にも、この記事で書きましたが

自分の好きな線や美しいと思う線を追っていけば自ずと必要な物を必要なタイミングで見えてきます

それはもしかして未来の私にはデッサンが必要なる時が来るかもしれないし、来ないかもしれないと言う事

それはその人がどんな絵を描きたいのかで人それぞれ違うと思うのです

しっかり勉強して来てとてもバランスがいい素敵な絵を描く人にはしばかれてしまいそうな記事ですが

それでも、私はこんな(ふざけた)事を言っている人がいるなら自分ももう少し描いてみよう

もう少し、肩の力を抜いてみよう

そんな風に思ってくれたらいいなと思っています

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まとめ

描きたい物だけを描いてきたらどうなるの?

それは人生と同じように好きな事だけやってたら?なんて疑問ととてもよく似ているなと思うのですが

甘い事言ってんじゃねー!!と怒られてしましそうだから書くのはやめようか?と思いましたが

現に描きたい物だけ描いてきて今に至っている本人としては

それでも楽しく自分らしく描いていると言うのが答えなのでは無いかと思うのです

自分に合ったやり方で、自分がより長く続くやり方で大好きな絵を自分が1番のファンだと言いながら

向き合っていけるやり方を選ぶ事が1番素敵なんだろうと思うのです

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