両親の離婚と言う重荷を子供に背負わせると言う事は、子供を傷つける事だとそう思っていませんか?
確かに、巷では離婚が子供に及ぼす影響が声高らかに多く叫ばれていて
その反対の意見など少しも聞こえて来ないかも知れません
この様な環境の中で、子供への罪悪感を抱かずに生きる事は至難の技
筆者自身も夫との別居を選択した時、自分自身を責め
子供の為に結婚生活を我慢し満足に継続出来ない自身を恥じてきました
しかし、時間が経つにつれ思考が冷静さを取り戻すと、考え方が変わって来ました
今現在も離婚を視野に別居をしてしますが、あの頃の罪悪感を感じている自分はもうどこにもいません
そんな筆者が離婚を選択する事で感じる子供への罪悪感を軽くする考え方を書いていこうと思います
離婚する事は悪い事?
私自身、離婚を肯定も賛成もしませんが
自身の経験から離婚については深く考える様になりました
仮面夫婦の父と母を持ち、母の収入だけで成り立っていた家庭で
そんな父と母のアンバランスな関係の影響を大きく受け生きて来た自身の人生では離婚は悪い物だとさえ思うことはありません
こちらの記事では自身の体験を語っています
私自身が思うのは
離婚=恥
我慢して結婚を続ける=大人で偉い
と言う価値観があまりも暴走してしまっていて、本来その言葉をしっかり受け止めなければいけない人を飛び越え
それが当たり前の様になってしまっていると言う事
そして、そんな我慢に我慢を重ねても尚、婚姻関係を続けている人達を何人も見てきて
本当の幸福とは何なのだろう?一体何と戦っているのだろう?と改めて思いました
お金の為、生活のために我慢し続ける事で失っている物とは何でしょうか?
そんな疑問を持った私自身が別居を決めた1番大きな理由は、親は子供の背中を見て育って行くと言う理由から
失敗も親から学びますし、生きる術も見て、聞いて覚えます
そして、殆どの人が忘れてしまっている様に思うのは幸福や安定、安息も親を見て学ぶと言う事
だから、親である私が子供に教えて行きたい事は、見せて行きたい姿は
安心と笑顔と探究心で満たされた日々なのです
その為には心の安息が1番必要でした
だから、私は子育てをする自分自身の安定した心こそが子供の未来の人格なのだと思い別居をする事を決めたのです
罪悪感
お父さんが居ない、お母さんが居ない
片親である事は悪い事だとか、何となく差別的な扱いを受けるとか
そんな事は現代ではよくある事ですし、自身もそんな扱いを受けた経験は1度ではありません
行事毎の時などは、両親が揃う場面で片親だけだと何となく子供に辛い思いをさせてしまう様な
自分自身もそんな風に感じさせてしまう事が申し訳なかったりする物で
肩身が狭く心が痛む場面も何度も遭遇しました
その度に自分自身のせいだと責め、子供に対してそんな事を感じさせ無い様にと償う様な行動とってしまっていました
罪悪感を抱き続けた結果はひどい物
そのひどい結果こそが、私が罪悪感を手放すきっかけとなりました
罪悪感が作り出した間違った親子関係
罪悪感を抱くと、対等な関係は築けません
ですので、必然的に罪悪感を感じている人が下
罪悪感を感じさせている人が上と言う関係になりやすく
私自身もその様な立ち位置になり、親としての本来の責任を背負おえていなかったと今では思います
子供に罪悪感を感じ、親自身が下になってしまう事で子供は間違った自分優位な社会性を身につけてしまう事になりかねません
罪悪感を捨て、親としての責任を受け取る覚悟
親とは、厳しくしなければ子供に伝えられない場面があります
子供のペースを尊重すると言いながら罪悪感を捨てられなかったり
子供の意思を尊重しすぎて子供自身に他の人も自分と同じように意見があるのだと言うことを知る手段を親自身が伝えられなかったり
叱ることやダメな事をダメだと教えられないと言う事も
他者知る機会を奪ってしまっていると言う事で
子供自身が人の輪の中に入った時に親同様に全ての人が自分自身に合わせてくれる物だと錯覚してしまう事に繋がります
罪悪感を抱きすぎてしまっていると言う事は極めてこの様な状況になりやすいと筆者は自身の経験から思っています
親自身の熱量や想いは子供にも伝わりますから、罪悪感を捨て子供にとって本当に必要な事を学ばせてあげれる事が良い事だと思うのです
対策
子供への影響を最小限に抑える
相手は自分にとってはパートナーで、子供にとっては親、線引きして考える
どんなに、理不尽でも
どんなに、パートナーの存在さえ蒸し返す事さえ嫌でも、それは自分自身だけの感情では無いか?とむねに問う事を忘れない様にして欲しいと思います
自分にとっては憎きパートナーでも子供にとってはかけがえのない親
だから、子供のパートナーへの想いを守るのはせめてものマナーだと思うのです
ずっと変わらずにどちらの親の存在も感じて生きていける様に、その子の前にはいない親の話をしながら育て行く事が子供の心を軽くする方法なのです
勿論、どちらの親とも会える環境を作る事が1番ですが
それが無理だとしたら、そこにはいないお父さん、お母さんの話をして行く事がその子の心の支えになると思うのです
私自身もこうして夫の話を息子と度々しています
時に子供自身が気を遣っていると感じる事もありますが、この習慣を続けて行こうと思うのです
それでも、辛い場合は無理はぜずに自分からは無理して話さないけど、子供からのパートナーの話はちゃんと聞こうなどと自分にも優しいルールを立てても良いかも知れません
それがあるから学べる事がある
私自身、今も子供の人生に与えてあげられなかった誰しもが普通に持っている物を思い、悔やんだり自分を責めてしまいそうになる時が時々あります
それでも、私は子供に対してこの経験をしたからこそ得られている事もあるのでは無いか?と思うのです
自分自身が経験してきた辛い出来事の数々は、今現在こうして記事になり自分自身の生きる力にもなっていますし
何よりたくさん転んだ分、起き上がり方は無数に手の中にあります
痛みを知っていると言う事は、起き上がる力を持っていると言う事
そして、誰しもが普通に何事も無く生きて来た訳ではありませんし、生きて行く訳ではありません
そして普通の生き方では無いと言う事は、人とは違う経験の中から誰も知らない事を見つけられると言う事
だからこそ、悪面ばかり見ずに良い面の恩師を受け取って見る事でそれが子供にとって悪いことばかりではない事もわかってくるのです
堂々と胸を張って親をする
私が精一杯、愛したこの子は大丈夫
そういつも思える様に子供に向き合っています
片親だから子供を大切にしないと言う思い込みで関わってくる人も少なからずいる物ですが
それでも、自分は子供を精一杯育ているのだと胸を張って心から思えればこんな言葉に惑わされる事もありませんし、行事毎で両親たちが揃う場面でも何とも思いません
親としての責任を果たせていると言う事は、自覚できる物ではありませんが
自分はしっかり向き合っていると思う事は、嘘をついたとしても自覚している物です
胸を張って親をして、胸を張って親でいる
これはシングルマザーだからこそ大切にしたい考え方です
子供の笑顔
両親が揃っていても、日常に笑顔が無く豊かさが無い子供は笑わない
これは私自身の子供時代です
どの写真を見ても、殆どが冷たく冷めた目をして遠くを見つめる怯えた様なその顔に笑顔はありませんでした
今現在も、冗談は得意でも笑うのはとても苦手で能面の様な顔になりがちなのは自分自身でも理解しています
だからこそ、私は子供の笑顔の大切さや子供の笑顔の出どころをよく知っています
子供は親を見て笑う事を覚えます
どんなに歯を食いしばって幸せなふりをしてみても親が笑わないと子供も笑いません
だから、こそ子供がまんべんの笑みで笑うと言う事は、自分自身が笑える様に生きて来たと言う事
子供が安心して笑える環境を作って来れたと言う事
この笑顔、私が守ってきたんだ
私はこの笑顔を守り通せたんだ
そう、もしもどんなに周囲に片親である事をとやかく言われたとしても
お子さんが笑っていられるとしたら、それはあなたの力でその笑顔を守ってきたと言う事なのです
まとめ
私自身、長い間子供への罪悪感で苦しんできましたが、その罪悪感を手放すきっかけになった出来事のお話をしました
これらを大切にして、堂々と片親ライフをエンジョイして欲しいと思うのです
子供の笑顔を守れる様に、自分の人生も笑って生きれる道を選ぶ事は決して悪い事などでは無いのですから
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