自分探しって何だろう?〜私が歩いた自分探しの旅の終着点〜

モノヅクリ

自分探しだなんて言葉を口にすると、何のために?だとか、意味があるのか?と言う議論から始まる世の中で、自分探しで彷徨う人もまた、少数いる

と言うのが私の感じている見解です

そんな私自身も長〜い間、自分探しをしてきた張本人です

「それで!その自分探しはどうなったの?」

もしも、私が“自分探しをしてきたのよ“なんて絵空事を堂々と語ってくれる人がいたとしたら、こんな風に質問攻めしてしまいそうだと思うのです

そして、その質問の答えに自分探しをしてきた私本人が答えるとしたら

「探していたのはね、多分自分じゃなかったのよね

自分探し探していた自分ってのは材料だったのよ」そう答えると思うんです

そうなんです

自分を見つけたいと言う目的は通過点であってゴールでは無いと言うのが私の答え

何の為に自分を探す必要があるかのその答えに辿り着いた時が、自分探しの旅の終着点なのです

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自分探しとは?

では自分探しとは何のでしょうか?

迷いでしょうか?それとも幻想でしょうか?

ここからは実体験に基づき自分探しの中身を暴いて見ようと思います

自分は見つかるの?

自分探しと言うフレーズを耳にした時、一番聞きたい要点と言えば

結局、見つかったのかどうかと言う事

その問いへの答えには、私はイエスと言うでしょう

その理由は、自分探しを始めるまで私は私の人生を生きていなかったから

私の人生は、自分探しを始めた時の自分と、今の自分探しを終えた自分とでは、過去が全く違います

これを巷では、カルマの解消などと言うのかもしれませんが

私の過去は書き換えられ、本棚に全巻並べらた様に今、こうして本当の過去を手に入れる事が出来ました

本当の過去を生きていなかった私は無理をして、この世の中に馴染める自分になろうとしていましたし

変わり者扱いされる変な自分を誰かの役に立つ事で必要とされたいと願っていました

だから、誰かから受ける酷い扱いも受け入れてしまっていて、自分の心の中の悲鳴に気付く事が出来ませんでした

私は時間を掛けて、真実を飲み込み、自分の悲鳴に耳を傾け、無理して続けていた人付き合いを断ち切り

孤独な空間のなかでとことん、自分の心に向き合い沢山の自分のカケラを見つけ出しました

それは、真っ暗な洞窟の中にこっそりと隠されている宝石の様で

自分のカケラを拾う度に、胸を張れる事も自分を許す事もできるようになって行き

まだ、姿の見えない欲しい物へと近づいて行く手応えを感じていました

理想の人生

私には欲しいものがありました

人生で手に入れたいヴィジョンがありました

それは遠く幼い頃から私の中にある物で、その為に生きてきた筈でしたが途中、あまりにも多くのトラブルに出会しすっかり目的はすり替えられていました

きっと、自分探しをする理由はそれで

きっと、自分の生きる人生に到達するには自分自身を見つけてからでないと見つからないと言う事をどこかで私たちは理解しているのでしょう

自分探しは、言うならば理想の人生を手に入れる為の材料を集める様な物なのです

自分探しの反対語

では、なぜ自分探しは意味がないだとか、何のためにだとかそんな議論がなされる様になったのでしょう?

それは、自分探しの反対語を紐解いて行くとわかるような気がします

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これは、ここまで自分探しをしてきた私の自論なのですが

自分探しの反対語は、安定だと思っています

その理由は、理想の人生を追う人々がいたとしたら、その反対には何があるのかを観てみると分かります

それが、安定した人生を生きる事

そして、この社会では安定した人生を望む人が大半ですし、それこそが良い事とされています

現実問題、金銭的要素が生きる事と密に直結している日本社会では、金銭の安定こそが人生の目的になりがちです

そんな人々が多数の中で、“自分探しをするのだ“と声を大にして言った時どんな事が起きるでしょうか?

きっと皆さんも想像はつくのだと思います

ですから、自分を探す事その物が絵空事で、空想的だと片づけられやすいのです

実際に私も、自分探しをしている事は誰にも話しませんでしたし、誘いを断る理由として

“暫くはひとりで考えたい“とだけ伝えておきました

つまり、自分探しとは人生の未来の目的次第で必要なのか不必要なのかが分かれるという事でもあります

月々の決まった収入と老後の安定を求める人々は理想の人生を追わないでしょうし

そもそも理想の人生のヴィジョンがない人は安定した人生を構築した方が安全です

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それでも、私が自分探しをしようと思ったのはなぜかと言うのなら

自身の人生の地盤があまりにも酷く、気付くと荒れた人生の中で立ちすくしていたからでした

ブロックを積み上げていて、どこで間違えたのか分からないけど次のブロックからがハマらなくなって

はめてもはめても、ずれて行く

そんな状況では、安定の文字は何の意味もなしません

必要なのは、どこでどうして間違って、なぜズレていると感じてる自分が出来上がってしまったのかを見つける事

それが、私の人生には必要だったのです

もうここまで来ると安定よりも、自分探しの方が自分を救ってくれる要素が大きくなります

とことん新しい道を模索する

そして、自分探しの反対語を理解すると自分探しに必要な物も見えてきます

それは、未来を安定では無く理想にシフトチェンジする事

とことん、自分はどんな人生を生きたいのかを考え抜き

これまでの自分を縛る過去の思い込みを手放し、本当の気持ちを拾ってあげるだけです

進めば進むほど、理想は見えて来ますし

進めば進むほど、自分を探す必要が無くなっていきます

そうして、いつか自分はこの道で生きると決めた道を見つけらた時に自分探しの旅は終着点に辿り着きます

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まとめ

ここまで、私の実体験をもとに自分探しとは何なのかを語っていきました

その答えをまとめるとしたら

自分探しは通過点で理想の人生を見つける為に必要な材料

安定した人生を求める人にとっては必要がない物でも、人生で絶望した時は全てを積み直す様に人生をやり直すチャンスがそこには眠っている

筆者自身も自分探しの最中は、暗闇をわずかなライトで手探りながら進む毎日でしたが

今となっては、この道を選んで良かったと思える人生にもっと近づいていると感じていますし

迷いながらも必死で探した新しい道に立った今では、違う過去を見ているだけでは無く

諦めずに進んで来た暗闇の中の記憶が“自分ならできると“私を後押ししてくれています

理想の人生を手に入れたい

そんな風に思うとしたら、自分を探す事は間違いなんかじゃありません

安定した人生を選ぶのもよしですし、理想の人生にかけてみる事もよしです

それでも、自分探しをしてきた本人として言える事は

それだけの価値はあると言う事です

どんなに、それが滑稽でも満足するかしないかは自分なのですから

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