私には心を守り、心を育て、生き方を教えてくれた親と言う存在が居ません
私の親は発達障害と失感情症で尚且つ、心の成長が止まっていので想像力が欠如していて子供の心を育てる事が出来ない人達でした
そんな人生の中で、突き当たるたくさんの悩みは何とかして自分で解決する必要があったので、私はある方法を子供の頃から使って生きて来ました
この記事では、全ての人間に与えられた共通の疑問に答えを出す方法を書いています
人間も生物だと言う考え方
結論からお話ししますと、私が子供の頃から支えにしている考え方がこの様な事
人間も地球上の生物
人間はいつしか、地球上の生物達とはまるで違う生活を手に入れ生きています
生物だと言う土台を持ちながら、生物では無くなって行くそんな感覚を私は抱いて生きてきました
悩みやたくさんの不安などは、人間が地球の生物と言う土台から離れて行くから増えて行くものだと思っています
子供の時に私はこう思ったのを覚えています
“ああ…私は生まれる時代を間違えたんだな…原始時代に生まれて居たら、こんなに心は苦しくなかったのにな…“
きっと私の人生の軸はその言葉にあって
生物としての本来の姿、食べる事と生きる事だけを本能に抱えている生き方では到底、人生と言う長旅を超えて行く事ができなくなってしまったと言う事がたくさんの悩みなどを毎日抱えて生きなければいけなくなった理由なのでは無いかと思っています
困った時は野生の生き物達が教えてくれた
私は、悩みの答えが出ない時には野生の動物達に当てはめて考える事で解決してきました
例えば、私の心には親と言う土台がありませんから自身が親になった時に、親は何をするものか?と言う事さえわからずにいました
その問いの答えの求め方は子供の頃からやって来ている様に、生物としての親とはどんなものか?と言う事と
生物としての人間と更に、社会性を構築し生きている人間としての社会そのものをまた、生物に当てはめて考えると言う方法で解決してきました
親とは、なんだろう?
そんな問いを抱えていた時に、カワウソのお母さんの子育てをテレビで見ました
カワウソは泳ぎを教える為に我が子を川に無理やり放り込みます
そして、鳥類も同じように飛び方を教えます
その光景を目の当たりした時に、親とは何かを理解できたのです
それは、命をかけて命を繋ぐ方法を教えて行くという事
子供の人生にとって大切な生き方を教えて行く事だと私は思ったのです
この考え方が今では私の育児の指針になっていて、子供には世界の全てを上から見下ろして
この世の中を渡っていく方法を身に付けさせようと思ったのです
社会とはなんだろう?
社会性とは何かを教えてくれたのはチンパンジーの群れでした
チンパンジーの母親を亡くした孤児は、群れの中には入れては貰えないのだそうです
そんな時にどうするのかと言うと、代理の母が社会性と言う群れのルールを教えて行くと言う事
なぜそこまでして、チンパンジーは群れに母を亡くした孤児のチンパンジーを入れないのか?
それは社会性を重じて生きる人間も同じで、群れと言うのは意外にも異端児ひとりがいれば歩調が崩れてしまうもので
群れと言う物その物が自分の命と直結していて、一人一人の命を守るために群れを作っているので群れ意外の存在=敵と言う考えになってしまうのだと思っています
ですので社会性と言うものは、群れを介して自身の命を守る行為でルールを作り共に安全に共存するための枠組みなのだと思うのです
親とな何か?や社会とはなにか?身近な悩みだけでは無く
人間は生物なのだと理解する事で、こんな疑問にも答えがつく様に感じています
それが、よく語られている才能について
才能とはなんだろう?
地球上の生物はさまざまな個性を持った生き物がいます
と言うよりも、個性を持ち合わせていない生き物などいないと言うほどにたくさんの様々な生物達がいます
人間は皆、同じヒトという種の様に感じますが、私には人間は世界の生物の様にあまりにも色々な人間が存在している様に見えるのです
私は自分を知りたいと思った時に自分はどんな動物に似ているのかを知れたらもっと自分がわかる様な気がしました
“あの人、すんごい犬っぽい!!“わかりやすく尾を振って来る様な懐っこい人にはそんな事を思うものです
では、その様な野生の生物達の多様な個性はどこからきているのか?と考えると
大体が同じ所に行き当たる事に気づきました
それが、自己防衛本能と生存戦略と適応です
つまり、人間も同じなのではないか?と私は思っているのです
私自身も、人とは違う自身ならでは個性は自身の特殊な環境から出来ていて自己防衛本能は思わぬ技を発動させる事も自身の体験で理解していますし
過酷な状況に適応してしまった人ほど思わぬ生存戦略を身につけている物だと思っています
殺伐とした、あまりに壮大なテーマこそ答えを出すのは難しい物ですが
そんなテーマに自分なりの解釈や、自分なりに信じられる答えを見つけた時には、新しい生きる意味が自分の中に知らずに生まれています
それは、大きなテーマの答えが自分と自分の生きる道を教えてくれると言う事
社会と言う成り立ちや社会が何かと言う事への答えを持たずに自分を知る事は出来ませんから
自分達は?自分とは?どんな生物か?を時に思い出したいと思うのです
生物であり、社会性を採用して生きる人間
人間が社会性を持たずに生きたとしたらどうなるのでしょうか?
社会性とはもちろん、マイナスもありますがプラスの要素もとても多いのです
身近な人が安全な環境で暮らせるのは、社会性のおかげです
そんな事を知ったのは、自分の身だけで生きていた自分から母になった事がきっかけでした
自分だけの視点で見てしまえば社会性と言うものが個人を揺るがす煩わしい物の様に感じる物ですが、母になり守る物ができた時に社会性で作られている共存する空間に中で与えられている安全の価値に初めて気づけた物です
野生の動物たちの命は時にエネルギーになり、エネルギーを補充して循環する様に知らずに助け合い成り立っています
それは、助け合いでは無く命の奪い合いに見える物
きっと、本来の人間の姿も同じなのでは無いかと思うのです
ですから、今日の私たちの命は社会性の上で成り立っている
それでも世界では、その社会性が確立しないが故にたくさんの悲しい出来事が起きています
社会性と言う、みんなの安全が保証された世界はまだ確立している訳ではありません
だから、私はいつも人間は生物だと言う土台を忘れずに生きています
もっと言って仕舞えば、私たちは宇宙人です
私たちの星に来て私たちを発見した宇宙人は私たちを宇宙人だと理解する様に、私達もまた宇宙人なのです
まとめ
社会性を持った人間である前に、人間とはなんなのか?と考えて行くと見えてくる答えがあります
地球の中で人間だけが特別で、人間は人間なのだと言う見方から一歩外に出る事は
人間と言う存在を俯瞰しているからこそ手に入る人間としての生き方ができると言う事
宇宙も原始時代も、サバンナの動物達も背景パネルでもなければ、テレビの中だけの出来事ではありません
今の人間が特別な訳でもありませんし、今という時代が特別ではないと言う事でもありません
全ては繋がっています
歴史も宇宙も、目を伏せたくなる様な現実も
目には見えなくとも全てから小さな影響を受け私たちは今を生きているのです
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