巷では子供の為に離婚しない事が、大人としての忍耐を備えている見なされ良しとされますし
逆に子供がいるのに離婚する事は我儘と見なされる事があります
確かに、子供の気持ちを全く考えずに離婚する事は我儘かもしれませんが
逆に子供の為を理由に我慢し生活する事も同じ様に子供の気持ちなどは考えておらず、私にとっては我儘のように思えるのです
こんな風に思うのは、私自身が仮面夫婦の父と母の背中を見て育ち、自身の結婚生活において“子供の為に離婚しない事は良い事なのか?“を考え抜いたからでした
そして、もう一つおまけで理由をあげるとしたら海外のドラマや映画ばかりを観て育ったと言う理由もあるのかも…
ビバリーヒルズ青春白書とか…海外の恋愛観や結婚観ってすごく自由だったな〜と今でも思うんです
そんな何処か、日本社会での美徳なる物と触れ合う事よりも、独自の目線で考えるきっかけになった経験を人生で与えられた筆者が語っていきます
子供にとって何が幸せなのか再定義する
子供にとって、幸せな事は本当に両親が揃っている事でしょうか?
ただ、両親が側にいる事が幸せなのでしょうか?
それはあまりにも表面的な部分しか見ていない見解だと自身は思っています
では子供が幸せになれる人生の土台は作りに親はどう還元してくべきなのでしょうか?
私自身の幸せな子供に育てる育児に大切な定義とはこの様な事だと思っています
- 心が休まる安心、安全なセキュアベースが持てている事
- してはいけない事や、世の中のルールを教えるのと同じ様に、幸せを教えて行くのも親のすべき事であると言う事
幸せを教えて行くと言うとかなり抽象的になってしまうのですが
それらの詳細をお話すると
幸せを選び取る為には、固定観念や自分に合わない世の中の美徳よりも、自分自身の手で、自分の為になる事を選んで行ける技術が必要です
周りや、世の中に何と言われようと子供には自分自身が満たされる選択をしてほしいと思うのです
つまり、表面的に親がいる事よりも親自身が幸福な心でいる事がとても大切だと言う事!
子供と向き合う親自身の心の土台が安心や幸福感に満たされている事は子供の人生に大きく影響を及ぼしていきます
親自身の幸福を追求していく上での注意点
親自身の幸福が、親が離婚せずにそばにいる事よりも大切だと言うお話をしましたが
ただ、親が幸福な道を追求すればいいのではありません
親自身が我儘さと、必要な幸福の追求を間違えない様に判断する必要があります
我儘さとは、自分自身の為にしかならないエゴの塊の様な物で、それは一時的で自分にとっては幸福ですが周りに人々にとっては良い物では有りません
必要な幸福の追求は、必ず循環して行き自分だけでは無く周りも幸福に出来ると言う特徴があります
なぜなら、本当に幸福な人は与える事が出来るからです
与える人は、周りを幸福を分け与えられる事が出来ますし、寛容になれます
しかし、エゴからくる我儘さは心の枯渇から来ているので、いくら手を伸ばししたとしても満ち足りる事はないからです
世の中で子供の為に離婚しない事が良い事とされている理由は、これらのエゴに飲まれて離婚してしまう人があまりに多いので一色単にされていると言う事が原因の一つと考えられると思います
子供の対しての離婚をする親のマナー
親の幸福の追求して行き、親が幸福でいる事が大切だとは言え
子供に対しての親のすべきマナーを守らない事は、それもまた我儘さの含まれたエゴと同じです
子供に対して最低限のマナーを守って行く事で、子供も親も幸福になれると言う事を忘れずに居てほしいと思います
勿論これは、場合によってはマイナスになりますから自分と子供にとって良い事だと思うものだけを取り入れ、子供にとって安定した生活を作る事が1番だと思っています
※DVなど場合によっては、会わせない事や話さないと言う選択が必要な場合も有ります、大切なのは子供自身の心の安定です
真の幸福は、自分だけでは成り立たない物だと思っています
自分の周りの人が幸福でいる事、その為に互いにとって良い事を循環させて行く事が出来る事
そして自分自身で付き合う人を選び、枯渇感がある不幸な人との関わり方を見直す事が幸福の糸口だと私は思っています
覚悟して選び取る
私自身の経験ですが、私の母は人の気持ちを全く理解出来ないプライドの盾で自分自身を守り続けている何かあれば怒鳴って従わせる父の元で、我慢に我慢を重ねカサンドラ症候群を通り越して失感情症になり
それでも、そんな自身の痛みに気付かずに長い間、父を立てて、そんな父と向き合う事を避けて仮面夫婦として今も何一つ変わらないまま暮らしています
そんな我が家は、何かあればすぐに仕事をやめる父を尻目にほとんど母の稼ぎで成り立って来ていたので、父の存在感と言う物が無く、だからこそ父自身はプライドの盾で自分自身を守る必要が合ったのかもしれません
そして、母はこの記事のタイトルでもある様に離婚をすると言う事への悪いイメージを持った人でした
離婚する人への偏見は何度か聞かされて来ましたから、そんな母は無理にでも離婚しない事が自分を正当化する事とイコールなのでしょう
会話が無い父と母、子供に縋ろうとする母、相変わらず自分の事しか考えていない父
意外にも子供と言う物は両親の姿を見たくなくとも目の当たりにしている物で、仮面夫婦として仲の良いフリはハリボテだと見透かしていたりする物です
そんな両親を見て私も同じ立場に立った時に、私は自身の人生の判断材料にしました
どうする事が、本当は良いのだろうか?
歯を食いしばって我慢して、一生を添い遂げる事に何の意味があるのだろうか?と
そして、一番の判断材料だったのが子供にとって一番良い道を選択するとしたら何を選ぼうか?
それが、私にとっては母の二の前にならない様に離婚を選択してひとりでも子供を養って行ける力をつける事でした
実際、ここまで来る為の道のりは本当に人生の中で最も苦しい時期でしたが、現在は心も年々軽くなっていますし、子供の顔つきも心構えも良い方へ変わって来ています
人は時に自身の幸福よりも正しさをとってしまう物、その正しさが本当に自分にとって正しい事なのか、その正しさは本当に正しい物なのかを吟味する必要があるのだといつも思っています
まとめ
私自身が経験した事から、学んだ独自の子連れ離婚の見解は如何でしたでしょうか?
如何なる時も、世の中で言われている良い事が正しいとも良いとも限らないと自身は思っています
そんな固定観念に縛られない考え方が出来るのは、親の意見などが全く無い世界で育った浮世離れした虐待サバイバーとして生きてきた自身のメリットだと思っています
そして、離婚せずに両親が揃っている事が良いのかと言うならば
どんなに両親が揃っていて家族が多くても、そこに相手を思う気持ちがなければ幸福とは言えないと思うのです
両親が揃っていることは良い事ですが、それらそのものが幸福や不幸と結びつく物ではないと思っていますし
離婚するならば離婚するなりきの子供に対しての親としてのマナーは最低限守ると言う事が親としての責任だと強く思うのです
両親が共に居られるのなら、それもいい
それでも、もし離婚に躊躇しているとしたら、それはなぜなのか?
夫婦とが共にいる事でどんな未来になるのか?
自分自身の心はどちらが幸福になれるのか?
そして、子供にとって本当の最善の道はどれなのか?よく考え決断する必要があるのだと思っています
コメント