只今、カサンドラの怒りという作品を描いています
ブログを始めてから、毎日数字と追いかけっこして子育てに明け暮れる
毎日が制作とはかけ離れたものに引っ張られている感覚がして
何となく目的を見失っている自分に気づき原点に帰る事にした
“誰かの為に“を制作意欲にしていると次第に本当の自分が分からなくなりついつい全てを論理的に捉えてしまう
だから、今しばらくは自分のために絵を描いてみようと思った
何のために絵を描くのか?
私はイラストレーターとして絵を描いているのだけど、イラストレーターが向いていないのは自身も始める前から分かっていた事
依頼を受けてイラストを描くイラストレーターと自分の描きたいものを描く画家
私が向いているのは画家で、描きたい様に描いてない最近はどうも調子が悪いのです
イラストレーターの世界に踏み込んでから、周りを見渡すと完璧に整った美しい絵を描く人ばかりで
それまであった絵の自信が全く無くなってしまったのが良く分かった
“ああ…何でもっとあんな風に緻密に書けないのだろう…“
“もっと、絵の勉強をしてくれば…“そんなことばかりが頭を擡げる
私は何が描きたかったのだろう?
絵は私の感情表現の一つなので、そんな絵を誰かの望む様に描くと言う事にシフトして行くのは至難の業
絵が好きかと言われたら好きなのだけど、好きとは何かが違う気がしていて
上手いかと言われたら、上手くなんかないし
それでも、私は自分の絵がとても好きで満足しているので自己完結する分にはこれでいい
誰かに見てもらいたいか?と言うならそんな事を考えた事も無く
それでも、ひとり引きこもり静かに生きて行きたいので、この道で生活したいと思っている
人生ではあまりにも多くのものを失い、手に入れられなかったから夢くらいは叶えたいと思う
絵を描くと言う事と現実世界を生きる事のバランスを取るのはいつも思うのだけど本当に難しい
好きな事で生きて行くってこう言う事?
好きな事で生きて行くとよく耳にするのだけど
それって言うのはつまり、現実世界と理想の世界に橋を掛けて行き来出来てしまえる様にする事なのではないか?と思うのです
それとも、理想の世界を現実にしてしまう事とも言えるのかな?
とにかく、形の無い夢と言う非現実的だと世間では歌われているものを現実に手に取れて誰しもの目に見えるようにして行く事なのだと思うのです
なので、現実的な義務などのやりたい事をやらない事で夢は叶うのでは無く
見ている世界と言う現実に、夢と言う非現実を混ぜ混み生活にすると言うのが夢を叶えることなのでは無いか?と
なので、あるとか無いとかでは無く、叶ったとか叶わないとかでは無くそれらが日常になればいいだけの話なのではないかと…
だから、数字に追われ育児に追われている私はどこか夢が遠くなっている気がしてしまうけど
こんな風に焦る時こそ、日常の中にそれらしく適度に夢が生活の一部ですみたいな顔をしてあればいいのかな?なんて思うのです
ああ…これについてはまた深掘りして話したいな…なんて思うな…うん…
60キロで進もうっと
結論はこうして書きながら見つけたのだけど
そう、好きなことで生きると言う事は現実世界に好きな事を混ぜ込んでしまうという事
”ようこそ”なんて言って向かい入れたりして、もてなさない事、チヤホヤ特別扱いしてあげない事だ
つまり、夢がそこらへんにパンツ一丁で転がっている生活でいいと言う事
そんなラフな感じで向かい入れた方が、きっと長く続くのだ
ついつい、力を入れて力んで焦ってしまうけど
そんな事してもやらなきゃいけない事が減る訳でもないし、即座に夢が叶うわけでもない
出来ない日の次のまた出来ない日も、描けない日も、書けない日も、鼻血が止まらない日も、一日中立ち往生してしまう日もあるのが生活
ダラダラしていい訳じゃないけど、燃え尽きない程度に法定速度を守りながら走るくらいでいいのかな?と思う様にした
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