ひとりが好き
ひとりが楽
人付き合いは、どこか面倒で
だから、無理をして付き合う必要もない
でも…
特に一人でいることで不自由をしていないし、その方がいいはずなのに
この『でも…』と言う、小さなつっかえのようなものがいつもどこかにあるような気がする
この『でも…』と感じている何かを解消できたら、もっと良い時間をこの先過ごしていけるのではないか?
ひとりと誰か
自分と誰か
もう一度、考え直す事で見えてくる未来がきっとあります
はじめに
〜記事を読む前に〜 この記事のポイント
・人付き合いを難しく考えていない?
・自分は内向型?外交型? もっと気楽に人と関わっていい
・繊細さんの高波、さざなみ 心の揺れの激しさを知る
・人と関わる時 頭の中の一人劇場が自分を消耗させる
・本当に自分の大切なものは何?ベースを決める
・誰かに人との関わり方を変えてキッカケをもらうのを待つのではなく、心の土台を見直し自分に良い人間関係をまず知ること
・関わりたいと自然と思えるまでは無理をする必要はない
・心の土台を見直すと人と関わる意欲が湧いてくる
ひとりが好き ひとりが楽
人と関わりを持つよりも、ひとりでいる方がメリットが多い人もいるものです
私自身も人とは無理をしてまでも関わりたくないとそう思って来ました
『それはなぜだろう?』と立ち止まり改めて考えた時にひとりでいる方がメリットが多いということがわかったんです
そのメリットの要因は、自分ひとりで打ち込みたい事柄があると言うことと自身の繊細さや過去のトラウマが大きく関係しています
自分の好きなことをするために、雑音をなくしたい
無駄な考えや悩みに支配されたくない
だから、さほど心を打ち解けられる人間関係でない限りは無用な悩みを抱えたくない
好きなことの方がずっと大事だからとそう思って来ました
人間関係の悩みは、繊細な人や過去に何かしらのトラウマを持っている人にとっては
普通の人よりも波は何度もやって来て、そしてささやかな波さえも高く恐ろしく感じるものです
小さなことが、小さなことと片付けられない性質だからこそ
無用な人間関係を持つことはデメリットの方が多いとそう思ってしまっても仕方がないことだと半ば諦めて来たように思います
ひとりでいたい・ひとりが好き
人ととの関わりは面倒だ
なぜ、自分がそう思うのかを知っているのかどうかは人ととの関わり方を見直す上でとても重要だと思っています
寂しさ
ひとりが好きでも、どこか隙間風が吹いてたまらない
寂しいのか?と言われたら寂しくはないし楽だし
寂しいかと言われると確かに寂しい
でも、寂しいと言ったところで状況も自分の変わる訳ではないから
何を言ってもしょうがない
きっと、そう思い封じて来た気持ちがあるのだと
寂しさとひとりは、同じじゃない
寂しさというのは、寂しくない時があってこそ感じるもの
ひとりでいるのが本当に当たり前すぎる人は寂しささえ感じないのだと思っています
そんな風に考えた時に、寂しさの根源なるものがきっと自分の過去にはあるのだなと気づいたんですね
そう、寂しくない時のこと
その時を思い出せば、自分が本当は寂しいのか?はたまた寂しくないのかは必然と分かるような気がします
内向型と外交型
猫型人間と犬型人間とも言われている内向型と外交型の違い
言うまでもなくこの記事を書いている筆者は内向型です
なので、外交型の人の心理は全く理解できませんでした
それでも、外交型の人を観察しているうちにあることを知りました
一つは、この社会全体が外交型の価値観に合わせて作られていて
外交型の価値観に合わせることが、内向型の人の人付き合いを苦しいものにしていると言うこと
パーソナルスペースの広さ、人と会う頻度や時間の長さ
関わる上での心の持ち方
どれをとってもまるで違うので
おそらく思慮深く一人一人の内情を深掘りして観察するような内向型の人には、誰とでもそつなく仲良くすると言うこと自体が無理のあることだとそう思います
しかし、それでも外交型の人と時間を共にしていると内向型と外交型の人付き合いの違いを深く知ることができます
外交型の人はとてもフランクに人と関わります
なので内向型の自身としては『なんだ…そんなんでいいのか…』と自分自身が内向型ながらに考え過ぎていたことを知りました
そう、そんなんでいいらしいんです
つまり、猫は猫
犬は犬
合わせる必要はないんですね
もう一度、人と関わっていきたいと思うまで
ひとりでいたいと長年そう思い、この気持ちは変わることはないだろうとずっと思って来ましたが
不思議と少しづつ、もう一度人と関わっていきたいと言う気持ちが自然に芽生え始めて行きました
その理由は、心の土台が整って来たからだと思っています
人付き合いには、自分のしっかりとした土台が必要だなと深く感じた私は
自分の心の土台を長年をかけて整えて来ました
それは、、トラウマと向き合うことや
自分自身が感じていることをしっかり汲み取ること
周囲をもう一度見渡して知ること
そして自己肯定感を高めることや、自分に自信を持つこと
それから、トラウマのトリガーを知ることも
繊細な自分の心に向かってくる数々の漣をうまく乗りこなせるように土台を固めてくると
不思議と準備が整い始めたと言うサインで人付き合いに対して少し積極的に動いてみようかな…と言う気持ちが湧いてきます
ゆるくでいい、自分を孤独に追い込まない程度のゆるい気負わない関わりを複数に分散させて関わって行こうと気持ちが変わり始めたのです
人付き合いが疲れる理由
繊細な人は人と会うとどっと疲れると言いますが自身も人と関わった日はよく寝込んでおり
疲れ切ってベッドから半日は起きられないほどの惨劇になっていました
だからこそ、その時に気づいたことがあります
それは、どうやら自分の中の頭のお喋りや思い込みが自分を疲れさせているようだと
誰かといる時に、無意識で起きている頭の中の一人劇場
『こうあるべき』『こういう自分はダメだ』
ここにつけ加え、警戒心のセンサーは鳴り
無駄な気遣いに、反省会
トラウマのトリガーとそれが発動しないようにと気を張る自分
それまで無意識でやって来たことが、パッと突然意識化に上がり気づいた時に
『これじゃあ、疲れて当たり前だ』なあんだもっと気楽に関わればいいんじゃんとそう思ったんです
それは、外交型の人が教えてくれたことです
頭の中のあれやこれやと自分を縛るものが人付き合いを難しくしているのだと
それらは、気遣っているようで逆効果だったのだと今ではわかるようになりました
心の土台を整えるためにしたこと
人と関わる時に無意識にやっている、一人劇場はいわば自分の恐れです
社会ではどう振る舞うべきか?人とはどう関わるべきか?
リスクを避けるために決まり事を自分に課せることでその場を上手くこなそうとする自分の中の自己防衛です
この力を弱めるには、重たくて厳重な盾を持たずとも人と関われる自分なれるように力をつける必要があります
それは、無理をして筋トレのようなトレーニングをして強くなるということではなく
無理をせずに、自分自身を大切にすることを学ぶこと
ー自分の失敗は自分と共に手を繋ぎ越える、励まし合いながらー
『どんな自分でもいいよ、受け止めるから』
そんなもう一人の自分を思考の中に持つことです
これは、私が世の中を観察して来て思ったことですが
自己肯定感と言うものは所詮幻想で、思ったもの勝ちなのだと
『自分を愛する』と言う言葉がピンとこないのは真面目に考え過ぎているから
自己肯定感が高い人とは、子供の頃に親や養育者などに肯定されて来た人です
誰かにとって自分は重要だと知っていて、何もなくても自分はそれでいいのだと許された人
つまり、自分肯定とは養育者からの愛情であり
その中身は、自己肯定感の低い人が思うようなものではきっとありません
そして自己肯定感が低い人というのは、逆に自分はダメだと思い込まされて来た人か真面目な人
私自身もかつてはそうでしたが
「世の中も大人も、子供の頃に自分が思ったほど凄いものでも完璧な物でもない」と知った時に
自分を愛することなんてのは、ただのこじつけなんだなとそう思ったのです
傷ついても大丈夫だと思える自分になる
傷つきたくないから盾を持つ
盾を持つから重たくなる
盾を床に置くには、傷ついても大丈夫な自分になること
それはつまり、何度も傷くことが重要だと思っています
傷つく度に、心を癒し直す方法を知り
傷ついた心を治せるようになれば、傷つくことを恐れなくなって行きます
それは、過度に傷つくために邁進し心を強くしろと言う事ではなく
自分が傷ついたことにちゃんと敏感になり、すぐに治療できる術を知っておくことだと
私自身も、傷ついた心をどうするかよりも傷つかないことを重視して来ました
でも、本当はちゃんと傷ついたことを認めて傷ついた心を治療して行く方が大切なんですよね
何度も傷ついてそう知って、今は絆創膏がいつもポッケに忍ばせてあるような生活です
ひとりで 誰かと
ひとりが楽と思っていたけど、もう一度人と関わって行こうと思った時に私は改めて
ひとりでいる時間を、これまでもよりも更により大切にしようとそう思いました
それは自分の帰ってくるべきホームベースが分かったから
そして、人と関わる為の自分の軸を持ったから
大切なことは
人付き合いか?ひとりか?どちらかに重点を置く事ではなく
気兼ねなく、自分の本当に大切なものを大切する事に正直になること
その上で、自分の大切なものを守りながら自分を満足させる人との関わり方を調節して行くことだと今では思っています
自分と言う人間の在り方で、自分に合った人との関わり方を知る
それが、きっと『ひとりが楽、でも…〇〇…』
この先の疑問を解く鍵になるのでは?と今の私は思っています
きっと外交型の人が通らないであろう道を、遠回りして見つけた
ひとりが好きな自身のこの先の人との関わり方
内向型ながら、学び多き道を歩んでいるとそう思いながら新しい自分作りに励む事こそが楽しみなのだと思うのです
akaiki×shiroimi
〈この記事を書いた筆者・akaiki×shiroimi〉
イラストの作画、エッセイや記事の執筆、絵本の作成、物作りなどについて発信しています
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