誰かの白い目の正体

人生訓

クエスチョンを通り越して白い目

私はこんな顔を相手にさせる事を恐れてきました

「何を言っているの?あんたおかしいんじゃない?」こんな時はいつも相手の顔の横の吹き出しにはこんな言葉が書かれている様に感じてならないからです

どんな人でもこんな感覚を感じた事があったり、また恐れるあまりに自身を隠し生きていると言う人もいるのでは無いでしょうか?

今回はそんな方に是非、読んでいただきたい内容を私の体験談と考察と共に語って行きたいと思います

違いと迫害

筆者自身、家族からも変だとか、おかしいなどと言われ生きて来て

すっかり自分はおかしいのだと思うように刷り込まれてしまいました

ですので何かあれば決まって『やっぱり私がおかしいからだ』と言う言葉が頭の中で自然と出てきては疑念に囚われ自分を責めてきました

そして何か言葉にする時も、通じないと言う経験をしすぎた為にあまりに慎重になりすぎて、とうとう言葉を発する事さえ嫌になってしまい

言葉がうまく出なてこないと言う状況にまで追い込まれてしまいました

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誰かの白い目を恐れるあまりに長い間、自分を痛めつけてしまってきた様に今では感じています

そんな私が、この白い目の正体と自身が人と何が違い、何故おかしいと言われるのかを知るきっかけとなったのが育児でした

子供を育てる前では気づけなかった理由は、子育てと言うものが社会と言う物とは切っては切る事が出来ないもので

子供を社会の中で育てると言う課題を与えられた時に初めて孤独でいいから自分を捨てたく無いと言うそれまでの身一つの自分から、子供の為に社会と共に生きてみる自分に変わる必要に迫られました

それは、緊張の毎日でいつも自分を自分自身で見張らなくてはならないと勘違いしていたのです

なぜなら自身がほとんどの人々とは何かが違うのだと言う事を何となく理解していたからです

だから、安易に言葉を発する事で「この人は変だ」と言うレッテルを貼られ子供が大変な目にあってしまうと言う事を避けたかったのです

実際に緊張し発言に気を付けていても、事件は起きてしまう事になり、問題対処にかなりの労力を使う事になり苦しい思いをしました

ではその違いとは何のでしょうか?

それは私自身や他の人々が現実とは何かをどう捉えているかの違いでした

現実の先の現実を適応する為に消した人々

現実とは何を指すのでしょう?

その答えは様々だと思いますが、働かなければ食ってはいけないと言う言葉の様な物を連想するのでは無いでしょうか?

自身も現実と言う言葉を耳にする時は決まってこの言葉がセットで語られていた様に思うのです

 しかし筆者自身にとっては現実と言う物はその言葉とは大きく違うもので

このような物を現実と捉えているのです

  • 歴史から連なる現代と言う1ページ程に過ぎない、風一つで変わる今と言う時間
  • 地球は宇宙の中にあり、その一つの惑星にすぎず人間もまた宇宙人だと言う事
  • 人間も地球上の他の生物と変わらない生き物だと言う事
  • 自身の幸福は愛と心が全て
  • そして全てには死や終わりがあり、自身もまたいつか死んでしまうのだと言う事

つまり筆者にとっての現実とは森羅万象や哲学などが現実であって働かなければ食っていけないと言う感覚はあまり理解できないと言うのが正直な所なのです

綺麗事だと言われる事は何度もありましたし、それでも幼い頃からこの価値観しか知らずに生きて来たので

自身の言葉を綺麗事だと言われる理由にさえ気付く事が出来ませんでした

そんな自身の幼少期には戸籍上に親や保護者はいても心の親や保護者なるものおらずに育ち、何一つうるさく言われる事はなかった物の同時に守られる事も教えてもらえる事も何も無くただ、体だけ生かされて来ました

まるで自由と言う天国なのか牢獄なのか分からない場所で孤独が当たり前なんだと思いながら…

「原子時代に産まれたらこんなに苦しくなかったのにな…」なんて考えたり

孤独だった時間は歴史の本や生物の本、綺麗な挿絵のファンタジー、考古学やドキュメント、不思議な物に、見た事もない遠い国の事なんかを見たり聞いたりして好奇心が私の命を繋いできました

空想じみていて、浮世離れしていて、どこか心ここに在らずで、いつも自分の世界で生きている私を殆どの人々は変人だとか、変わっているとか、夢見がちで幼稚だと罵ってきましたが、相変わらずに何故そんな事を言って来るのかと彼らの真意に気付く事は出来ませんでした

そして育児を通して、やっと彼らの世界観を目にできる様になり肌で感じられ様にもなり言語化できる程になりました

そんな大半の人々が見ているのは現実の前の現実

自身が考えていた現実の全て宇宙哲学歴史も全てはパネルとして背後にあるだけで

その前の現実(つまり、目に見え手にとれる範囲の物)だけを現実だと言っている事に気付きました

その価値観は

  • 戦争は教科書の中の事
  • 宇宙は教科書の中の事
  • 歴史は教科書の中の事
  • 貧困も教科書の中の事
  • 死は自分世界には無い物
  • 心や愛は無
  • コミニティーの中にいる事が安全

つまり歴史と今日は繋がっておらず、死と自分は繋がっていない、宇宙と自分も繋がっていない

それどころか心と自分も繋がっておらず、愛は綺麗事だと言う事

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そこにある物は金と、安定して生きる為の地図やレシピと自身の属しているコミニティーでそれ以外は背景パネルでありそこには無い物だと認識していると言う事でした

※しかし人によってはどっぷりとそこに浸かっている人もいれば愛だけは信じるとか、心は大切にするなどの部分部分での差はある様に感じたので必ずしも完全に当てはまっているとは言い切れません

まとめ

そしてそれらの事を元にして白い目の正体を暴くとすると…

大きな視野で見た現実では無い、それより目の前の自分と言う存在の周りで見て手にとれる範囲の現実を現実だとと言っている人々同士がその視野でルールなどを通して取るコミニケーションで、同じ視野を元にして話す事でそれらの人々の安心の種となり

更にその様な価値観を持った人々が安心を求め同じ価値観を構築する

そうして多数派と呼ばれる人々が出来上がる

つまり白い目の正体は、その多数はの人々とは違った視野を持ち言葉にした時の言語や行動などを指すのです

心、愛、哲学、歴史、死、自分よりもコミニティー内で温和な位置を確保し続ける事やその為にルールを重んじる事やお金の方が大切だと言う価値観を持っている人々の中では自身を大切にする事や自身の考えで行動する行為さえおかしいと捉えられがちなのです

そして筆者自身が出した対策は

  • 見ているものが違うと言う事を理解する事
  • 迫害され罵られたとしても多数=悪だと思わずそれは一部に過ぎないと言う大きな視点で捉える事        何故なら多数派の価値観も◎してしまえば、両方の価値観の良い所を吸収し悪い所を排除し、中道を行くと言う、最もストレスの少ない道を選べるからなのです
  • どちらかに傾きすぎる事が苦しみを生むのであって、多数の人々が作る大きな価値観と言うルールが自身を苦しめているのではないと言う事を知る事                                   ルールの中に居る多数の人々も本当の自分を生きれないと言う苦しみを抱えているのです

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そして最後に筆者自身が全てを踏まえ、白い目を向けられた時にしている事は、自分に向けられたサインだと捉えると言う事です

価値観が違うので話が通じない事があるよ!注意しながら距離をなるべく開けて付き合いなさい!!と言う警告だと思う様にする事で、無駄な争いをしないと言う事が出来るのです

以上で白い目を向けられた時、変人扱いされた時、おかしいと言われる時の処方箋と言う内容で書かせて頂きました

お役に立てたら幸いです

そして、悶々と空想を繰り返しニヤニヤと考え事に花を咲かせている孤独な完全単独育児シングルマザー兼、イラストレーターakaiki*shiroimiのブログも是非、見ていってくださいね

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