人生と言うものは、管理が必要で管理を怠った分はしっかり自分の人生に返ってくる
そんな風に思っているのは、自分の人生を自分の物として今まで生きられなかった私が、あまりに多くの宿題に人生の真ん中で直面したからです

夏休みの宿題は早めになんて言うのだけれど、そもそも宿題の教科書なんかに手を付ける事もできずに親の手伝いばかりささせられている様な育ち方をして来た人間はどうすれば良いのだろう?
親の為に生きて来たんだと気づいた頃には、周りの同じ年代どころか一つ下の年代の人達まで人生の土台をしっかり作っている
人生のツケなんてものに直面した時、私はまだまだ柔らかで頼りない地盤と、片付けても片付けても片付いて行かないこの場所で
言い訳をしたり、恨んだり、絶望をしたり、片付けに忙しくしたりして嘆いて、泣く事すら出来ずにツケを払う様に生きている
人生はよそ見をしていたら、藪になる
人生は道なのです、だから先ほども言った様に管理が必要です
人生は、同じお天気の日が続くばかりじゃないから雨の日もあり、嵐も雪もみぞれも降り
いい天気と呼ばれている晴れの日すら水分を体から奪っていく時もある
悪い天気と呼ばれる雨が、潤いを与える時もある
そんな、お天気の予測は不可能でも、管理は必要です
嵐の後は、落ち葉や木の枝なんかが落ちていて道を塞いでしまうから、しっかり片付けなければ行けません
あれは過去の事だから、なんて振り返った人生の管理を怠ってしまう事は、人生そのものの見通しを悪くする事
過去の片付けをしない事は、それがどんな小さな問題でも、いつもその問題に派生した出来事が引っかかってしまうと言う事で
更に言うのなら、それが向き合うべき問題ならば何度でもそこを起点に問題は起き続けるのです
過去には自分の人生の道を振り返れば、すぐに行く事が出来ます
ただし、管理してないと思い通りの過去には、そう簡単に辿り着けないかもしれませんが…
過去に、たどり着いた時はそこで過去の問題を片付ける
そんな風にして、過去も今も片付ける必要がありますし
過去と今を片づけずして、未来は見えないのだと思うのです
管理不足の人生の藪に埋まっているもの
私の人生では、振り返った時に暗雲立ち込める藪がそこにありました
管理すらされず、生きる事すら諦めて来たので気付けば過去は藪だらけ

そんな、人生を過去に渡り、今を片づけ、未来に咲く花を植え新しい人生を生きる様に人生と言う道を管理し始めました
効果はすぐには出なくとも、すぐには片付かなくとも花が咲く様にと種を植えました
その花の種は、過去の痛みから出来ています
過去の悲しみ、過去の苦しみ、過去の寂しさ、人とは違う経験をして来た事、周りとは違う醜いアヒルの子だった自分
ひとりぼっちだった私の人生に学び養って来た事が、新しい種になりました
今は、いつかの藪の中から種を拾い上げ未来に植える日々
そんな日々の中で、やっと人生の管理不足の日々をそれでよかったのだと思える様にもなり始め
それそのものが、いい天気でもあり悪い天気でもある様に人生そのものなのだと受け入れらそうだぞと思うようになり
全ては、繋がっていると言う事を飲み込む事が出来そうだと思い始めたのです
例え、私がこの管理不足の人生に命を奪われてしまったとしても
逆らう頭とは裏腹に胸のどこかでそれはきっと何かのために成っているのだと強く感じるようにしているのです
まとめ
あなたは人生、藪…になっていませんか?私の様に
人生の藪は綺麗に語っても、しんどいものですが
それでも、そこは宝の山でした
いろいろな大切な自分のかけらが落ちているはずです
お掃除ロボットに片付けをお願い出来たり、放って置けるのならいいのですが
何せ藪ですから、地つなぎで根を張ってる雑草になんかが年々増えて行きます
それがいつか心に向かうその前に、気づいてあげてほしいと思うのです

今、私は片付き始めた荒い工事現場の様な地面の人生に種を植え、未だに晴れない空の下で未来を見ているのです
振り返り種から花が咲くのを見るのは、まだ先
今はただ、未来を見るのです

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