理想と常識

人生訓

もしも、あなたが何かに悩んで

その答えを探していると言うのに、見つからないとしたら

それは、もしかしたら常識と言う概念の中でだけで答えを探そうとしてるからかもしれません

この世の中には、常識と言うみんなと生きるルールの中での正解

自分として生きる世界での正解があり

常識的な正解ばかりを追っていけば、自分に逆らう事になり

自分の中の正解ばかりを追っていけば、常識に逆らう事になります

私がこんな事を考えるきっかけとなった出来事は

社会と言う集団の中では生活して行く上では

皆同じ速度で進む事が当たり前になり過ぎていて

時に、じっくり考える時間を持ち一歩一歩を慎重に進め歩んでいく事も

道を逸れて、自分が学ぶべき物を引き返し学び直すという事がとても困難でリスクのある事だと改めて痛感したからです

本気で人生を生きれば、時に引き返しも戻る事も、立ち止まる事もあるはずだと

それでも社会的にはそれらは、ノンスタンダードだと見做されてしまう

そんな社会の中で、理想と常識のバランスの取り方を改めて考えるきっかけになりまし

そんな私は、虐待サバイバーとして

親に社会のルールを教わらずに、コミニティに属せず社会の外でひとり生きて来た少し異質な存在なのです

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背くと言う事

もしも、この記事を読んで下さっている方が

抱えている悩みに対して、常識に反する決断をしたらどうなるのか?と考えているとしたら

私はその答えを知っていると答えるでしょう

常識と言うルールを教わらずに、コミニティにも属せずに育って来た私にとって

常識と言う概念は、そこに強烈な線引きがあったとしても

“人間と言う存在が共存する術“と言う世界の中にあるツールの一つとしか考えていません

常識と言う概念が無い為に

常識はずれと見做され、厄介者扱いをされますが

それでも、常識の外の答えを持ち合わせると言う事は

頑固たる自分の考えと信念を持ち

自分の理想を生きられると言う事でもあります

ですので、答えとしては

自分自身が最大の味方になり

自分を常識と言う枠の中の概念で裁かなければ、理想を生きる事だと思っています

社会の外に答えを探してみる

一般的に社会のルールに背く事は、先ほどもお話した通りに

厄介者と見做されたり、非常識と避難されたりと

悪だと見做される事が多いのですが

確かに、ルールを派手に破って行くのは、自ら人生を崩壊させ、後ろ指を刺され行く事と同じです

しかし、社会の外には悪と見做されない答えも眠っています

それは柔軟さを求めらるかもしれませんが

探せば、きっと見つかるはずです

現に、私自身がそんな道なき道を、自身の心を頼りに知恵を縛りながら進んで来ました

その先には何があるのか?

それは、もちろん自分の理想に続いているはずです

それらの事柄一言で表現するとしたら、夢を叶える事だと言えるかもしれません

夢を叶えると言えばこんなフレーズをよく耳にした事はありませんか?

“常識を破れ“とか“枠の外へ“と言う言葉

私自身この言葉は少々、過激で過剰なのでは無いか?と考えていて

半分正解で半分は間違いな気がするんです

ただ、常識に背けばいいのでは無く

一度は、社会と言う物にきっちりと向き合って、社会とは何かを知らないといけないと思うんです

それに、どうしたって社会生活の義務は付き纏いますから

それらを、上手にこなしながら現実と理想を

いわゆるファンタジーとリアリティを自分色にミックスして行くと言う

ある種の器用さみたいな物が必要になるんですね

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自分の正解を探す為の最大の味方、ひとり時間の確保する

自分にとっての正解で

社会にとっては悪と見做され無い答えを見つけると言う事は

何も無い所に、新しい物を生み出す様な物です

私自身が、その答えを探す為に必要だった物を1つあげるとしたら

それは、孤独です

間違いだらけで積み上げてしまった人生は今にも倒れてしまいそうで

このままでは、生きていけないと思い、人生の再構築の為に10年ほど孤独に身を置き

ひとり考え抜いて来ました

答えなき、答えを見つける為に

ただただ、誰もいない自然の中に出向き散歩をしてあぐねる事からはじめ

日々の無駄な雑念を消す為に心を整え、過去の心の傷を癒やし

答えが降りて来やすい様に、心の中にからっぽの器作りをして来ました

今では、インスピレーションとして答えがどこからともなくやってくる事もありますし

より無駄が無く、片付いている心の中では取り出しもスムーズです

ひとりになり、些細な事を感じる事

ひとりになり、あちらこちらに散らばるヒントに気づく事

ひとりになり、過去に溜め込んできた心の中を片付け要る物といらない物を分別し片付ける事

こうする事で、より自分に合った答えが見つけやすくなるのです

何も無い所に答えを生み出すヒント

・ひとりの時間を確保する

・心の中に詰め込まれた過去の整理

・心の中にからっぽの器を作る

心も人生で一度は大掃除が必要なんですね

自分自身を貫きすぎてしまう人に

そして、もう一つ

この記事を読んでくださっている方が私と同じ虐待サバイバーとして育ち

ここまでお話しして来た仮定とは逆に

自分自身の答えにばかり拘ってしまって生きづらいと言う場合についてお話しできればと思うのですが

かつての自分自身も、常識と言う概念がないがために、自分だけの選択をして来た様に感じます

それは、ある種とても良い事ではありますが

だからこそ、自分を責めてしまったり

周りと自分との違いが浮き彫りになり過ぎたりと生きづらさに繋がります

私自身はこれらを育児をして行く事で、完全とは言い切れませんが自然と正されて行った様に感じます

ですので少々、あら治療になりますがこの場合は社会と言う物をよく知る必要があるのだと思います

一時でも、社会性の厳しい環境に身を置く事

その中で自分を知り、社会を知る事で新しい生き方が見えてくるはずです

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まとめ

答えを探す上で、本来は自分自身の答えに添い生きると言う事が

自分の人生を生きると言う事ですが

私たちは、社会性を軸に生きる動物です

そして、この生きている地域や環境を共同でシェアし

自分の為に、他者想いになり生きています

それが、常識と言うルールだと私は思っています

この日本と言う社会そのものが集団に強く結び付きを持ち生きる民族だからこそ

線引きは厳しく、ルールは破る事は出来ないのだと思い込んでしまう人が多い様に感じます

しかし、私の様に社会と言う枠組みの外で生きて来た人間もいると言う事

そして、社会と言うルールから外れる事が悪なのでは無く

社会と言うルールの外には悪にならない答えもあるのだと言う事を知って欲しいと思います

常識とは背くべき物でも無く、そして常識の外も罵るべき悪ではありません

それが、異質な私が見つけた答えです

常識とは、ただただみんなの為の物で

みんなで生きてなければ、意味が無いものなのかもしれません

それに、常識は一過性の物ですから

程よく、付き合って行く事が自分の人生を満足させる秘訣になるのだと思います

いかがでしたか?

この記事が、皆さんの理想の人生に一歩を踏み出すお手伝いになれば嬉しいです

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