当たり前が壊れた時は

日常記

人生では、やたらと物が立て続けに壊れる時があったりしますよね

まさに、最近の私がそんな日々の中にいました

そのおかげで、1つ生活習慣が変わり

今までは当たり前だと思っていた事から新しい発見をしたりました

何かが壊れたり

当たり前の物が、なくなる事で

風が吹き、新しいページが意図せずともめくれて

ここにこんな物があったんだ!と気づく事

人生においての春の前の冬の様に、それこそが壊の役目なのだろうと改めて感じました

スポンサーリンク

あたりまえ

先日、炊飯器が壊れまして

ボタンを押しても、うんともすんとも言わなくなってしまいました

元々、そろそろ買い替え時期かな?と思っていた事もありましたが

炊き込みご飯の用意をして、あとボタン一つでと言うところで壊れたので

「えっ!!今!!!」と言った気分

でも、こうして記事を書いている今考えるとタイミングはバッチリだったな…と思うんです

手元に残った、ビシャビシャのだしのにおい漂う生米を抱えて少し考えていると

重たすぎて、洗うのが大変なので普段使いに向いていないホーロー鍋の存在を思い出しました

スポンサーリンク

特定の料理の時にしか使わない鍋でしたが

このピンチを抜け出すにはキミが必要だ!と適役に任命され

おぞおぞと食器棚の奥から、突然の眠りから醒まされる事に

ホーロー鍋と私の人生で、初めて炊飯器に頼らずに米を炊く戦いが火蓋を切って落とされました

新発見

法螺貝の音を、心の中でけたたましくセッティングしたのも虚しく

気合いとは裏腹に、人生で初めて炊いた炊き込みご飯は

意外にも、思っていたよりもかなり早く

あっさりと炊けてしまいました

1時間くらいはかかるだろう…とふんでいたのに20分ほどで炊けて

「はや炊きするより早いじゃん!!」と一喝

それに、炊き込みご飯はおこげがカリッとしていてより美味しい

息子も大喜びで絶賛していました

意外にもあっさりと炊けてしまったので

炊飯器をすぐに買わなくてはと思っていたのですが

少し、面白そうだからこのまま生活してみようと言う事になり

炊飯器が壊れた日から1週間が経ちました

毎回、炊きあがるたびに

「なんだこれ!米への愛着半端ない!!」となるので

鍋の蓋を開けるのと、お米を食べる一口目が私の楽しみになっています

炊き方もだいぶ慣れてきたので、今のところは炊飯器を買わずに

このままの生活でも良さそうです

スポンサーリンク

縄文のパワーを思い出せ

これは自論なのですが

人間は、人間の本能があり

それが、原始の生き方では現代より色濃く

その人間本来の本能は、今もきっと変わらずに全ての人の中にあると思うんです

過去の人間も、今の人間も人間だと言う事には変わりないと思うんですね

変わったのは人間を取り囲む環境だけで、そこに合わせて生きているだけなので

今、起きて突然に縄文時代になっていたとしたら

それでも、人間として生きて行くと思うんですよね

私は、物作りをする時にこんな考え方を軸に物作りをしているのですが

全てのレシピは、人間が作り出した物だと言う事を意識して作る様にしていま

編み物なんかをする時は

一本の毛糸が、こんなにも綺麗なメリヤス模様になる様にする技術を思いついた人がいるんだ…と

もし、その人が違うやり方を見つけていたらメリヤス模様ではない模様が支流だったのかもな…とも

そんな風に、遠い昔に思いを馳せると

今、当たり前に生活の一部として身の回りにある物全てが

名もない誰かが作り出した1ページの積み重ねで出来ていて

それでも、当たり前になって仕舞えば人類の歴史の何兆ページの中のただの1ページでしかないと言う事と

別にそれがなんでも、よかったけどたまたまそれだったとも思うんです

そう考えると、レシピなんてなんでもいいのかな?なんて思って

自由に作ればいいじゃんと思うんです

新しく知らない事を身につける事も生きる事もそんな感じかなって

だから、今回も米を炊く時に初めてだったんですが

とりあえず、縄文パワーを思い起こして

縄文人ならこう炊くだろうとかを想像しながら米を炊いてみたんです

(テンパって、レシピとを見なかったとも言えますけどね…)

スポンサーリンク

壊を楽しむ

何かが壊れたりすると、とても嫌な気分になったり

出費が嵩んだりと嫌なイメージが付き纏いますが

意外にも、それって非日常の中で新鮮で新しい体験が出来ると言う事でもあるんです

私自身の経験ですが、家に住み着いた餅を丸ごと夜中に食べさらうデカネズミに人生を救われました

住み着いたばかりの時は、トムとジェリーさながらの戦いになり

知らなおばさんと、ホームセンターでネズミ駆除で意気投合し語らったりしましたが

あのデカネズミのおかげで、今は自分の人生を生きているとそう思っています

人生起きる出来事は意味があるとそんな話を聞いた事がありますが

そうだと頷きはしませんが、どんな悪い出来事も物は使いようだとは思っています

めくった事のないページがここにあったのだと

忍者屋敷の隠し扉を見つけてしまった時のような、新しい道筋が見つかるのも当たり前が壊れたから

壊を楽しむ

壊はあたらしい世界を教えてくれる春を目前した冬の様な物

どうか、毛嫌いする事なく

視点を変えて

その向こうにある、新しい発見を楽しんでほしいと思います

コメント

タイトルとURLをコピーしました