大人になると言う事は、自分のためだけに生きる事が出来ないと言う事でもあります
それは不便か?苦しみか?それとも誇るべき事か?
1つ言えるとしたら、大人になれたという事

自分のために生きる事が出来ないと言う事は、自分の底力を知るという事
“この人の為にも私は死ねない“と心から思い誰かを守れるという事は美しくも悲しい物
意外にレアなんですよ
この世界には、誰かの為に生きる人もいれば
自分の為だけにしか生きられない人もいますし、誰かに生かしてもらいたい人もいます
こんな言葉を並べてみると、誰かのために生きる人はなんとも美しく見える物です

美学という観点で話すとするなら、誰かのために生きることが美しいという人もいれば
自分をちゃんと大切にして自分の人生を生きる事が大切なんだという人もいるでしょうし
自分の人生は自分の物なのだからという人もいるのでしょう
何が1番良くて、何が正解か?などと言う答え合わせの答えはありませんが、どの答えを取っても、良い悪いの一言で決めてしまえる物ではない様な気がします
それでも、それぞれの価値観がある中で自分以外の誰かを大切に思えると言う事が出来ているのだと言う事は
それだけでも、誰にでもある物ではなく
その人に備えられた愛情でもあり能力でもあるのです
こんな視点でモノを見る様になったのは、自分が大人になれたと少しでも感じる様になれて“この世の中“と言う視点を持てた時に
誰もが自分以外の誰かを大切にできる術を持っている訳では無いと言う悲しい事実を知りました
自分以外の誰かを大切にするには、視野の広さや俯瞰して状況を見る事や相手の状況や気持ちを理解する為の想像力、それから誠実さや理性など細かく言うとしたならたくさんの要因が重なった上での様々な能力の上に成り立っている事で
それなりの熟練の技の様な技術を必要とする事です
誰かのために生きると言う事を言葉にして仕舞えばいかにも簡単そうな事ですが、子供から大人になったのだと実感できる場面があるとすると、自分以外の誰かを守る事が出来る様になった時なのではないでしょうか
誰にでもできる訳では無い事を苦しみながらも出来る人、そんな人が愛のある人だと私は思います
頑張りすぎないで
それでも、誰かのために生きれる人は見ていると悲しくもなる物で
座布団の一つを持ってきて“まずはここに座って!ゆっくりお茶でも飲んで!!““布団も敷いてあるからね“なんて声をかけてあげたくなる物です
誰かのために生きる事は時に自分を置いてきぼりにしてしまいますから、自分と言う存在が抜けてやる事だらけで生きているなんて事もあるかと思います
時々、心の底から自由と言う野原を一日中、駆け回りたい様なそんな気持ちになったりしますよね…
あなたが、誰かのために生きている姿は美しくもありますが
時に忙しく大変な母を子供が心配する様な目で見ているあなたを大切に思う誰かが胸を痛め悲しんでいると言う事も忘れてはいけません
こんなな時は自分のためにしか生きられない人から、自分をとことん愛する方法を学びたいですね
だから、私は買い物帰りに500円もするクレープ買って、買い物袋下げてクレープ持って帰る変なおばちゃんになってしまうんですよね…(私ごと)
誰かのために生きる人へ
この記事を書こうと思ったのは、そんな誰かのために一生懸命生きている人を目の当たりにしたからでした
子育て中のママさんや、仕事を頑張るパパさん、子供たちの人生を考える先生に
山の奥の仙人も…あれ?なんか違う…
仕切り直して、家族や誰かを愛する人たちへ
それ、誰もが持っている技じゃないよ!(RPGのゲームなら主人公の最終必殺技に近いですよ)と言いたくなりこの記事を書きました

ついでに個人的な感情ですが、座布団を持ってきて“まあ、ここに座ってさ!お茶でも飲んで!“みたいな気持ちで
時に、自分のためだけにしか生きれない人から見習うべきモノもあるよ思ったのです
そんな私は、誰かのために生きる時間は、リードをとって欲しい飼い犬の様でもありますが
人生で一番、自分がすごいと心から思う事が出来た時間でもありました
だから、きっと誰かのために一生懸命生きている誰かの姿がこうして記事を書くきっかけになったように、誰かのために必死で生きる画面の向こうの誰かも、その後ろであなたを見る誰かには輝いて見えるのかも知れません

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